昔から愛されてきたそうめん
お菓子感覚で食べられていた
奈良時代の中国には索餅と呼ばれる小麦粉のお菓子があり、これがそうめんの原型とされています。
索餅は小麦粉を練って縄のようにねじり、油で揚げて作られていました。
この食文化が日本へ伝わり、当初は宮中行事や祭礼の際に食べられる特別な料理として扱われます。
平安時代には七夕の供え物として献上されるほど高級な存在となり、現在でも七月七日がそうめんの日とされる由来になっています。
その後、鎌倉時代頃になると、揚げ菓子の形から細い麺状へと姿を変え、現在のそうめんの基礎が形づくられました。
ただし、この時代でも庶民が日常的に食べられるものではなく、貴族や僧侶など限られた人々だけが口にできる高級品でした。
庶民の食べ物へ
江戸時代に入るまで、そうめんは主に貴族や上流階級の食べ物とされていました。
しかし、製法が改良され、流通が発達したことで、徐々に庶民の間にも広がっていきます。
当時はそうめんという名称ではなく、きり麦と呼ばれていました。
作り方はうどんとほぼ同じで、小麦粉に塩を加えて練り、細く延ばして切ります。
太いものはうどん、細いものはきり麦として区別されていました。
さらに、温かい汁で食べる場合はあつむぎ、冷たい汁で食べる場合は冷や麦と呼ばれ、食べ方によって呼び名が変わっていた点も特徴です。
こうしてそうめんは、庶民の夏の食文化として定着していきました。